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本当に気が付いているか?報・連・相の重要性

■業務の品質低下を招くものは?
当たり前な話で恐縮ですが、世の企業は、基本的に組織でビジネスにあたっていると思います。
組織で業務を進めている以上、組織内のコミュニケーションが円滑に行われているかどうかが、その会社のビジネスの品質を左右すると言っても過言ではありません。

我々がお邪魔した際に経営陣が「どうも思ったような成果が出ないですよ」とおっしゃる企業の場合、色々な角度から見させて頂きますが、「現場と経営層がしっかりとコミュニケーションがとれていないなぁ」と感じることが多いです。そして、そのコミュニケーション不足が組織内で発生する様々なトラブルの根源的な原因となっているケースは少なくありません。

またあるいは、経営者や従業員の方自身が自覚的に、「うちの課題は社内のコミュニケーションがうまくいっていないことにあるんだよね」とおっしゃるケースも多くあります。
そうした場合、「報連相」というキーワードで表現される方も多くいらっしゃいます。

■とある企業のお悩みとは?
先日、とある中堅企業A社にお邪魔した際に、窓口になってくださっている取締役より「うちは報連相ができないんだよね。当たり前のことなんだけど、何とか形にできないかな。」というご相談を頂きました。
我々が各部署のメンバーにお話をお伺いしたところ、確かに部署内、あるいは部署間のディスコミュニケーション、ミスコミュニケーションにより納期の遅延や納品物の品質低下に対する顧客からのクレームが発生していました。

そこでA社では「なぜ、報連相がうまく行われないのか」について真剣に考えてみることにしました。
我々は問題解決に当たる際に、その問題の対処方法を考える前に、「なぜ、その問題が起こってしまうのか?」を繰り返し、本当に解決すべき課題の特定を徹底的に行います。
その際に、我々コンサルタントだけ議論して結論を出すのではなく、クライアント企業の社員に一緒に考えて頂きます。

A社でもリーダーの方に集まって頂き、丸1日かけて、議論を行いました。
報連相が行われないのは、果たしてどのような原因によるものだったのでしょうか?

■課題「個人の技量」、解決策「個人の努力」は正しいのか?
少し話しの視点は、変わりますが、我々が、クライアントと共に会社組織内の課題解決を進めようとすると、「個人の技量」に行き着くケースが多くあります。
何かしらの問題が解決されない理由のひとつとして、「担当者の技量や経験が足りないからだ」という結論に至るのです。
この傾向は、特に”個”に対する意識の強い組織や専門性のある業務に従事している組織に顕著です。
そして、この場合の課題解決の為の施策としては、「勉強する」や「経験をつませる」といった施策が提示されることが多いです。
課題の中核的な原因が「個人の技量」となる場合、どうしても施策の議論は「個人の努力」に偏りがちになります。

今回の企業でも、報・連・相ができない理由のひとつとして下記のような点が挙げられました。

報・連・相ができないのは……
業務知識が足りず、周囲とのコミュニケーションが円滑、あるいは活発にならないから。
その解決策としては、しっかりと勉強する。

議論の中では、「忙しい」といった理由も挙がりましたが、やはり今回の報・連・相も「個人の技量」あるいは「個人の努力」にフォーカスが当たりました。

しかし、ここでしっかり考えてみたいと思います。
もし、「個人の技量」に課題があるとして、本当に「勉強する」や「経験をつませる」で解決されるでしょうか。

私はこれまでの経験から、これらの施策の有効性は疑ってかかるべきだと考えています。
例えば、「経験をつませる」については、非常に時間がかかり、いつになったら問題が解決されるかわかりません。
また、「勉強する」という施策についもて、一朝一夕ではどうにもならない課題が多い上に、個々人の努力に任される部分で、組織としてはコントロールが非常に難しいです。
また、よく考えてみて頂きたいのは、「業務に必要な知識を勉強する」という行為は、恐らく誰もが非常に重要だと感じていて、やらなければならないことだと感じているはずです。
それにも関わらず、これまで勉強が進まず、各担当者が技量不足に陥っているのだとすれば、「勉強する」と決めたとしても、その有効性は疑ってかかるべきです。
(当然、勉強は必要なことですので、勉強を奨励する仕掛けを行いつつ、その他の仕掛け”プランB”も必要だということです。)

■組織であることの必然性とは?
「経験を積む」訳でもなく、「勉強する」訳でもなく、「個人の技量不足」を補う為にできることは他にないのでしょうか。
しかも、組織運営を考えると、明日からできることが望ましいという条件が付きます。

ここまで考えると、「周囲の知見を活用する」=「周囲に相談する」という解決策に思い至るのではないでしょうか。
このレポートをお読み頂いている方の中には、「そんなのは当然のことじゃないか」とお思いの方も多いことと思います。
しかし、これまでこうした課題解決のためのワークを多く実施してきましたが、「個人の技量不足」という課題に対して「相談する」という解決策が出るケースは多くありません。

私は、「組織」というものを「一人の力ではできないことを成す為の集団である」と定義しています。
せっかく、「組織」なのに、個人の責任と技量に問題解決の出口が限定されてしまうのは非常に勿体無いことではないでしょうか。

ここに報連相が重要であることの本質のひとつがあるように思います。

報告、連絡、相談は一人ではできないことを成す為に実施すべきだと考えられます。
今、自分は一人では太刀打ちできない課題に立ち向かっていると自己認識が進めば、おのずと報・連・相の重要性は見えてきます。
しかし、「報・連・相がなぜ重要なのか」が忘れられてしまっている組織や「報・連・相そのもの」が目的になっている組織が多いなというのが率直な感想です。

皆様、如何でしょうか?

ここまでお読み頂いた事は至極当たり前のことだと思います。
ですが、その当たり前のことに全従業員気が付いている企業は本当に少ないのではないでしょうか。

もう一度、皆様の組織のコミュニケーションの目的、あり方についてもう一度深く見つめなおして頂けたら幸いです。