「どうなる!?日本経済」というタイトル、皆さんはどう感じるだろうか。
12月の衆議院選挙が終わり、年末年始のタイミングということもあって、TV、新聞、雑誌等々、多くのメディアでみられたのが「どうなる・・・」というテーマだ。
なぜこのような話をしているのかというと、どうしてもテーマに引きずられて「自民党政権に変わってこの先どうなるだろう?」と傍観者の立場になってしまいがちになるからだ。
自分の国の話なのに、大多数の日本国民が「どうなる?」と考えてしまうような状況を作ってしまっているのだとすると、“視点”というのはやはり重要だと考えさせられる。
「どうなる?」というフレーズは決定的に“当事者意識”を欠落させてしまう。
企業においても、組織の状況が悪化していればいるほど、「ウチの会社、これからどうなるんでしょうか?」という社員の数が多くなる。誰もが「何とかしたい」という思いを持ちながらも、一方で「そもそもこうなったのは自分の責任では無い」という立場をとってしまい、結果として主体的に行動しようとする社員がいなくなってしまう。
確かに、「そんな風に言われても、自分が日本経済に及ぼせる影響なんて皆無ですよ」と言ってしまえば、その通りかもしれない。
「会社の方向性を決めるのは経営陣の仕事で、いち部署のマネジャーでしかない自分が出来ることなんて限られてますよ」と言いたくなる気持ちもわからないではない。
しかし、こんな風に考えてみるとどうだろう。
「仮に、その役割(日本経済を立て直す、自分の会社を成長軌道にのせる)を与えられたとしたら、自分だったらどうする?」
たとえ総理大臣であろうとも、社長であろうとも、自分ひとりで達成できるものではないので、「自分ではない誰かにやってもらいたいこと」が数多く出てくるのではないだろうか。
課題を自分事と捉えて、自ら動いてくれるメンバーを探し求めるのではないだろうか。
約3年ほど前にお付き合いを始めたA社のX部長。
出会った当時によく聞いていたコメントは、「社長と本部長で言ってることが違うから現場が混乱する」、「経営陣は、コスト削減にばかり目が向いていて、営業活動を阻害するような方策ばかり落としてくる」、といった類のものばかりで、自ら何かを仕掛けて変えていこうという気概は全く感じられなかった。
ある日、X部長に対してこんな話をした。
「どうすれば業績が上がりそうなのか、仮説があるにも関わらず、それを胸の内にしまい込んで経営陣に対する陰口で日々をやり過ごしているように見えますが、どうお考えですか?この事業の業績が好転しないのは、経営陣よりもX部長に責任がありますよ。仮説に対する自信はまだ持てないかも知れませんが、我々も一緒にやりますからチャレンジしましょうよ!」
2012年、X部長は見違えるほどのリーダーシップを発揮し、V字回復の兆しが見えるところまで業績を回復させた。とても忙しそうだが、最近はいつも楽しそうだ。
すべてがこのように上手くいくとは限らない。
しかし、結果以前に大切なことが、「どうなる?」の視点に陥ってしまっていることに気づき、「どうする?」の視点で考えてみることが大切だと思う。
それが行動を変えるきっかけになるはずだ。