まもなく東日本大震災から1年を迎えようしている。
もう1年か、という思いと共に、まだ1年しか経っていないのかと認識したとき、
私たち人間が持つ忘却曲線と、日常に埋没することの恐ろしさを改めて痛感させられた。
とはいうものの、依然として、被災地の復興はままならい上に、
私たち首都圏に住む人間でさえ、未だに続く地震に怯え、不安の解消には程遠い状況が続いている。
先日も、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7級の直下型地震が4年以内に70%の確率で起きる可能性がある」との計算結果を公表した。
東日本大震災以降の首都圏を取り巻く環境の不確実性は急激に拡大しており、予断を許さない状況が続いているといえるだろう。
そんな中、首都圏直下型地震を想定した際の最大のリスクの1つが、マンションの存在だ。日本のマンションの全ストックのうち、半分以上を首都圏でかかえている。
そこで先日、東京都は大規模な地震が発生した際でも住み続けることができるマンションを認定する制度「東京都LCP(Life Continuity Performance)住宅」の基本方針を発表した。
その内容について業界内外で、大きな波紋を呼んでいる。
■ マンションの震災対応力を評価する「東京都LCP住宅」制度とは
「東京都LCP住宅」において、都が認定するマンションは、
震度6強程度の大規模な地震が発生しても建物が倒壊せず、
電気が復旧するまでの間、水道水を各戸に供給できる新築及び既存の物件を想定している。
具体的な認定の条件には次の5つが挙げられている。
[1] 1981年に改定された建築基準法で定める耐震基準を満たすこと
[2] 水の供給および1基のエレベーターの運転を同時若しくは交互に行う発電能力があり、燃料が安定継続して供給可能で、住宅外からの電力供給が途絶した場合でも、運転可能な常用発電機が設置されていること
[3] [2]の常用発電機は、発電に伴い発生する熱の利用に努めることとし、熱の利用に必要な機能を備えること
[4] 東京都LCP住宅としての登録に必要となる設備の設置・運営にあたり、居住者・住宅所有者に、原則として新たな負担が生じないこと
[5] [2]の設備の設置・運営を委託する場合、委託期間を15年以上とし、住宅所有者が受託者の業務や納税・財務の状況、委託終了後の住宅の管理等を考慮の上、契約を締結していること
これらの条件を満たし認定を受けた物件は「東京都LCP住宅」とPRすることができるとされ、売却に際してアピールできる。
実際大きな地震が発生し、電気の供給が一時ストップしたとしても、
しばらくの間は、認定マンションの中であれば、生活を営むことができるだろう。
条件の中で注目すべきは、[2]で常用発電機の設置が義務付けられている点である。
言うまでもなく、常用発電機の設置及びその維持には多額のコストがかかる。
新築であれば、それは販売価格や、管理費や修繕積立金の増額に直接的に繋がることとなり、
ディベロッパーからは早くも不満の声が聞こえている。
既存のマンションについても、既に常用発電機が設置されているマンションは未だ稀で、
認定の為には新築と同様、一定のコストがかるケースが多いだろう。
反面、[4]では居住者、住宅所有者に「原則として」新たな負担が生じないことが認定の条件に挙げられており、
このあたりには若干の矛盾を感じなくはない。
仮に価格や管理費、修繕積立金が従来より上がるとすれば、
消費者の立場から見れば、そのコスト増を超えても余りある安心感を選択するという判断ができるか否かということになろう。
今回の制度は、主として、東日本大震災を受け、特に地震に対するハード面での対応力を向上させる目的で創設されたものと推測されるが、
これまでもマンションの品質を評価する認定制度が全くなかったわけではない。「東京都優良マンション登録表示制度」がそれだ。
この制度は、建物(共用部分)の性能と管理の両面において、
一定の水準を確保する分譲マンションを「優良マンション」として、認定・登録し、公表する制度である。
マンションそのものの性能もさることながら、管理面、ソフト面の品質評価に重きを置いた制度であり、平成15年4月からスタートした。
それでは、このような東京都がおこなう、客観的にマンションの品質を評価する認定制度の目的、存在意義はどのような点にあるのだろうか。
スタートから9年が経とうとする「東京都優良マンション登録制度」の実態でいえば、その目的の達成状況はどのように評価できるのか。
さらに、そこから見える課題・問題点を、今回の「東京LCP住宅」制度を進める上で活かせることはないのか。
今回はこのような疑問に対して経営コンサルタントの視点から考察してみたい。
■ 認定制度の目的・意義は「逆選択」を防止するシグナリング効果
一般的な人にとって住宅の購入とは、人生に1度か2度程度しか経験しない貴重な体験である。
換言すれば住宅という商品は極めて購買頻度の低い商品である。
よって、売り手と買い手との間には大きな情報格差が存在する。
わかりやく言えば、日常的に住宅を販売し続ける営業マンと住宅購入者の間には、商品に対する知識や経験、情報の格差が大きい。
経済学の世界では、このような取引主体間で情報の量に差がある状態を「情報の非対称性」と呼んでいる。
一般的な経済学のモデルでは、モデルを簡素化するために、取引主体間の持つ情報は同一であること(完備情報下)を前提に、理論が構築されている。
ただし、取引主体間において情報の量や内容に差がある状態(不完備情報下)を想定すると、
結果的に同質性を重視した基本的な経済モデルと比較して、社会的な価値が減少する場合がある。
これは「情報の非対称性」が存在することによる市場の失敗と定義され、その代表的なものとして「逆選択」などが挙げられる。
「逆選択」とは取引主体間で商品やサービスについて情報の格差がある場合、
結果的に、低品質の商品やあまり望ましくない商品が市場に残り、他のものを排除してしまう現象をさす。
当然のように「情報の非対称性」が存在する市場では、この「逆選択」による市場の失敗を解消したい。
そこで市場の失敗を防ぐ方法の1つが「シグナリング」である。
「シグナリング」とは情報優位者が商品の品質に関する情報(シグナル)を情報劣位者に間接的、直接的に提示することで、
情報の格差を縮小する方法である。
例えば、就職の際に就職希望者(情報優位者)が資格を取得して自分の優秀さを採用企業(情報劣位者)に示す行為なども、
この「シグナリング」の効果を期待しておこなう手段といえる。
このように考えると、今回取り上げた2つの東京都のマンション認定制度は、「情報の非対称性」が大きい、
建物性能部分や管理の状況、地震対応力といった専門的知識が必要なポイントを、評価の対象としていることに気が付く。
そういう意味では、このような認定制度そのものの意義は、
情報劣位者である私たち一般消費者にとっては、「逆選択」を防ぐ上でも大変ありがたい「シグナリング」の制度であるといえるだろう。
■ 先行事例「東京都優良マンション登録制度」にシグナリング効果はあったのか
それでは制度が始まってまもなく9年が経とうとする「東京都優良マンション登録制度」には、
このようなシグナリングの機能がうまく働いているといえるのか検証してみたい。
登録物件は(財)東京都防災・建築まちづくりセンターのホームページから確認できる。
現在この制度に登録されている物件の数は新築で190物件、中古で13物件である。
この9年間で、都内で新たに販売された物件の数、及び現在都内に存在するストック数から比較すると、この数は極めて少ない値といえるだろう。
また登録されている新築物件は、一部のメジャーなディベロッパーに偏っていることにも気づく。
中古物件については、エリア、築年数、総戸数ともばらつきがあるものの、いかんせん13物件であるため、なんとも判断がつかない。
このように、登録件数からみると本制度がまだまだ市場に浸透しきれていないことが見て取れる。
当然、認知度という観点についても同様であろう。
読者の皆様のうち、この「東京都優良マンション登録制度」をご存知だった方はどのくらいいるのであろうか。
「東京都優良マンション」のブランドとしての価値も、今のところ極めて過少であると評価せざるを得ない。
したがって、「東京都優良マンション登録制度」のシグナリング効果としての機能は、現在のところ、ほとんど働いていない。
この原因には、言うまでもなく本制度の認知度、ブランド力の不足に起因する、制度そのものの権威不足が指摘できる。
先の例であげた、就職の際の資格取得によるシグナリング効果においても、それが効果を発揮するのは、
その資格の認知度、権威が大きいものに限られるだろう。
例えば「TOIEC900点」を見れば、誰もがその人の高い英語力を客観的に評価できるが、
同じ資格でも聞いたこともないような検定試験の結果を提示された場合においては、採用側はその優劣を判断できない。
すなわちシグナリングが機能しないということである。
よって、東京都のマンション認定制度に関わらず、資格ビジネスや認定ビジネスの最も難しいところは、
認知度やブランド力を高め、資格としての権威を早期にどれだけ確立できるかという点にある。
■ 「東京LCP住宅」制度は社会的に価値を見出せるのか
これらの結果を踏まえると、今回の「東京LCP住宅」制度が社会的な価値を見出す為には、
当制度の認知度や知覚品質を高め、ブラントとしての権威を確立できるかどうかにかかっているといえる。
現在、ディベロッパーのなかには「新築で認定をとるためにはコストが上昇し、競争力が落ちる」という声や、
既存マンションにおいても「認定マンション以外の物件に対する地震対応力を必要以上に不安がらせる負の影響が強い」という否定的な声が多いようであるが、
先の条件が見たされれば、そのような心配も杞憂に終わるだろう。
「東京LCP住宅」制度の認知度、ブランド力が高まり権威が確立されてくれば、
あらゆるディベロッパーが本制度の条件を満たすことそのものが、競争力の源泉として活用できることになる。
そうなれば、むしろ積極的に利用するインセンティブが強く働くはずだ。
また、このような流れが更に拡大し、一部のオプション的付加価値という位置付けからデファクトスタンダード化(事実上の標準化)へ移行が進めば、必然的にコストは低減される。
既存マンションにおいても、導入しやすい環境が整うことにもなるだろう。
つまり、短期的視点で見れば、先行投資的にコストが上昇し、
それに反応する顧客も一部のイノベーター層に限定されるイメージがあるが、このブランド浸透、権威付けさえうまくいけば、
それはディベロッパーにとっても、私たち購入者・居住者にとっても、大変、メリットの大きい制度となる可能性は高い。
■ 制度の権威が高めることが“お飾り”にしないポイント
問題は、本当にそこまでの認知度、権威付けが確立されるかどうかという点である。
しかし、逆にそのような条件が整わなかった際には、「東京都優良マンション登録制度」の例を挙げるまでもなく、
一部のマンションに対する付加価値オプションとしてのみ機能させ、
その他はこれまでどおりの独自の基準で安全性を訴求する、
または独自でそれを判断するということになるだけである。
よって、一時的な混乱は、多少発生する可能性はあるものの、
長期的な負の影響は少ないと言えるだろう(ただし、本制度を創設、及び維持するコスト〈=税金〉は無駄であったという結論にはなる)。
以上、先日東京都が発表した「東京LCP住宅」制度について、その期待される意義と目的、及び先行事例としての「東京都優良マンション登録制度」の実態、
そこから見える認定制度の成功ファクター及び制度によるディベロッパー、居住者への価値分配プロセスの枠組みを整理した。
本制度が単なる、お飾りだけの認定制度に終わらない為にも、
あらためて震災の恐ろしさ、その時体験した不便さを私たちは思い出す必要があるだろう。
そして、リスクマネジメントの重要性を再認識し、
地震国である日本に地震対応力の高いマンションを広く浸透させることは、
私たちユーザーにとってもディベロッパーにとっても大変有益な取り組みであることは間違いない。
(出典:ダイヤモンド・オンライン)