「企業理念」「経営方針」という言葉にはどのようなイメージをもたれるでしょうか? 「崇高」や「尊い」、「企業が掲げるべきもの」というイメージがある一方、特に若手の方にとっては「遠い存在」や「一社員の自分とは関係ない」「社長が決めるもの」と思われてる方も多いと思われます。
では、「部署方針」はいかがでしょうか? 「チーム方針」は? 「個人目標」は?…… どこまでが「自分とは関係のあるもの」で、どこまでが「自分とは関係のないもの」でしょうか?
今回はこのような方針や目標、役割など組織として共通認識を持つべきものが明確に決まっていないことによる弊害について2つの事例を交えてお伝えしたいと思います。
(1)あるメーカーA社の事例
メーカーではよくある傾向のひとつとして、とても魅力的な商品を作りさえすれば、顧客は勝手に商品を購入し業績は上がっていくと考えられがちです。このA社でもその傾向は顕著であり、商品開発は顧客の使用イメージを考えないまま、デザイン性の高い、まさにプロダクトアウト的な商品開発を行っていました。
そのような商品を営業が売っていくのですが、顧客の声を聞いている営業は商品がターゲットと合っていないため、本来購入してほしいターゲットへの訴求力が薄くなかなか売れません。一方、広報は広報独自の理解で格好良いCMや広告を作っている。このように部署間では全くターゲットに対しての共通認識が図れておらず、ライバル企業に水を空けられている状態でした。
当然のことながら、本来、企業は一つの「経営方針」の元、ターゲット顧客を決め、その顧客に合わせた商品を作り、その顧客に合わせて広報活動を行い、その顧客へ営業するというように、各部署が力を合わせることが不可欠です。ある部署が一つでも異なる方向を向いていると、力が急激に削ぎ落とされる結果となってしまいます。
(2)あるIT系B社の事例
このB社のある部署ではチーム制を取っていました。その組織体制がなかなか機能していないというので、我々に声を掛けていただいたのですが、その原因は部署長とチームリーダーの認識がずれており、チームリーダーの役割が不明確になっていることでした。
チーム制を取った際に、部署長が考えているリーダーの役割は、メンバーと部署長との橋渡し役であり、メンバーの業務内容やトピックスなどはすべて把握し、必要時に自分に報告できることを期待していたのです。
一方、リーダー側はチームリーダーという役職が付いている訳ではなかったので、メンバーの相談役や連絡事項の伝達などを多少やるだけの、少しお飾り的な役割だと考えていたのです。ディスカッション中は、部署長がこう言ったじゃないかと発言すると、リーダーはそんなの聞いてないと返すようなやり取りが繰り返されていました。
さて、一般的にありがちな2つの事例だったのですが、ここから言える事は以下の2点です。
●全社的でも部署内であっても認識の違いによる弊害は起こる
●当事者は分かっていながらも改善することを諦めてしまう
このような共通認識の違いは往々にして起こりうるものです。組織体が大きくなればなるほど、ずれが大きいと思いますが、少人数体の中でも適切なルールなどを整備していなければ、弊害が起きてしまうと言えます。
また、この弊害の多くはその組織に属するもの、特に現場の当事者は気が付いていることが多いと思います。しかし、どうせ変わらないからと諦めてしまい、「企業内サイレントクレーマー」のごとく、会社では特に何も言わず、同僚同士の愚痴となって吐き出される結果となってしまいます。
今回の2事例に関しても、共に現場の方はこの問題を理解されていましたが、やはり行動に移すことができなかったようです。
この解決策としてはごくごく単純なのですが、共通認識を持たせるために「客観的な視点からの視える化」を行うことです。この場合、より客観性を持たせるために、相手を納得させるために数字を使うことを意識されると良いでしょう。
(1)に関しては、市場のトレンドから他社、顧客動向などをまとめ、各部署の活動とのギャップを丁寧に、なるべく客観的な数字に置き換えて明確にしていきました。そして、その資料を元に、各部署に回り認識のすり合わせをしていき、全社統一した方向性を定着させております。
(2)に関しては、部署長とリーダー全員でディスカッションしていただきました。すべての意見を出し尽くすまで議論をしていただき、その結果を取りまとめ、リーダーの役割を明文化。合わせて、リーダーの役割に基づいた各種業務フローを構築し、共通認識を持たせるためにメンバーの前で発表を行いました。
内部にいてはサイレントクレーマーのごとく、本質的な批判は隠れしまい、なかなか根本原因にたどり着けません。時には客観的にチーム内、課内、部内、企業内の意見を集め、共通認識を確認するような場を設けてはいかがでしょうか。