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「成長すること」の3つの観点

(キャリア・ポートレート コンサルティング 代表 村山 昇)

「年初の決意」は立てましたか?

自分の「内なる声」に耳を澄まし、抗しがたいマグマを文字に落とすことで、「成長」は約束される。
みなさんは「年初の決意」(New Year’s resolution)を書き出す人でしょうか?

私はビジネスダイアリーとは別でアイデア手帳をこしらえているのですが、そこに毎年、公私の想い・誓いを書き込んでいます。

定量的な目標はほとんど書きません。心の奥から湧き出すマグマのようなものを文字に落として書いています。「こうありたい」「こうするゾ!」のような理想イメージも含めて。そして、一年ごとのテーマを一語で表す。

今年のテーマは「抜け出る」年(The Year of Getting Out)としました。ちなみに、昨年が「かたちづくる」年(The Year of Forming)、一昨年が「深化する」年(The Year of Deepening)でした。

まぁ、その1年はテーマどおりにいかないことのほうが多いのですが、それでも、自分の“内なる声”を書き出し、テーマ付けすることは、なんとなく気が引き締まっていいものだと思います。

さて、きょうは、「成長」ということにつき書きます。私は、人が「成長すること」を3つの観点から考えています。

■ 第1の観点=【水平的成長】

これは主に仕事の量や種類をこなすことによって、その結果、その仕事に順応する、視野が広がる、経験の幅を持つといった成長です。

誰しも、その仕事に不慣れで未熟なころは、ともかく繰り返しその仕事に挑戦したり、場数を踏んだりして自信をつけます。

また、大企業では、ジョブローテーションで、定期的に従業員を配置換えしますが、これも多様で幅のある業務経験を積ませることが目的です。

その他、自己啓発のためにいろいろな分野の読書をしたり、セミナーや異業種交流会に参加をして、自分の知識領域の面積を拡大させるのも水平的な成長です。加えて、留学や旅行も格好の水平的成長の機会になるでしょう。

概して、水平的成長は、流動的に多様な物事を見聞することで得るものといえます。

■ 第2の観点=【垂直的成長】

これまでの仕事より難度の高い仕事に挑戦し、それをクリアしたとき、あるいは、仕事上の苦境・修羅場をくぐって、無事、事態をとりまとめることができたとき、人は、垂直的成長を遂げることになります。いわゆる「一皮向けた」変化、「大人になった」変化がこれにあたります。

また、こういう経験によって、これまでとは一段高い目線で考えられるようになった、より高い志向・目標を描くようになった、より深くものを見つめるようになった、などは垂直的成長の証です。

概して、垂直的成長は、固定的にある箇所で奮闘し、深掘りする中で得られることが多いように見受けられます。

なお、水平的成長と垂直的成長は、完全に二分しているものではなく、人が成長するとき、たいていはこの両方の微妙な混合によって得られるものです。

■ 第3の観点=【連続的な成長・非連続的な成長】

成長を考える第3のキーワードは「連続・非連続」(もしくは、「地続き的・飛び地的」)です。

この「連続・非連続」という言葉は、もともとイノベーション(技術などによる革新)のプロセスを研究する現場から生まれてきたものです。

著名なイノベーション研究者であるヨーゼフ・シュンペーターは、非連続的なイノベーションを次のように例えています―――

「いくら郵便馬車を列ねても、
 それによって決して鉄道を得ることはできなかった」と。

私たちの成長にも、「連続・非連続」といった2つの種類がありそうです。ひとつの職種、会社、業界で、日々、知識・技能を習得し、経験を重ね、そのキャリアパスを一歩一歩進んでいくという連続的な成長(地続き的な成長)がひとつ。

そして、ある日、突然、何かの出会いやチャンスとめぐり合い、これまでとは分野の全く異なる世界で仕事を始め、非連続的に大飛躍していく成長(飛び地的な成長)がもうひとつです。

非連続的成長には、こうしたキャリアパスに関わることだけではありません。働く意識の非連続的成長もあります。例えば、次のピーター・ドラッカーの言葉が象徴的にそれを表しています。

「指揮者に勧められて、客席から演奏を聴いたクラリネット奏者がいる。そのとき彼は、初めて音楽を聴いた。その後は上手に吹くことを超えて、音楽を創造するようになった。これが成長である。仕事のやり方を変えたのではない。意味を加えたのだった」。―――『仕事の哲学』(ダイヤモンド刊)より

人は仕事に大きな意味を見出したとき、それに向き合う意識ががらっと変わります。それこそまさに、心が非連続的な跳躍をしたときです。

■ 成長は目的ではない

多くの上司や社長、先生方、親たち、大人たちは、部下や従業員、生徒、子供たちに向かって「成長しろ、成長しろ」と言う。そして、私たち一人一人も「成長しなくては」と(強迫観念的に)思っている。

しかし、私たちは、必ずしも「成長するゾっ!」と思って成長するわけではない。一生懸命、何か課題に取り組み、解決できたときに、“結果的に”成長しているというのが実態です。

だから、人は「成長しなければ」とか、「なぜ成長しなければならないか」を考えてもはじまらない。どんな仕事に没頭すれば、成長せずにいられないか、という順序で成長をとらえるべきでしょう。成長は目的ではないからです。何かを全うしたときに結果的にそうなってしまうものです。

ですから、私たち一人一人にあっては、十分に自分の“内なる声”“心の叫び”を聴き取るべきです。「この世に生まれて何がしたかったのか」という抗しがたい想いを汲み取ることです。

そして、それを明確に腹に落とすために、自分の言葉で書き出すこと。
平成ニッポンの世で、いろいろな格差が問題となってきていますが、私はその根本は、個々の人間の「内なる声」格差、「心の叫び」格差から生じていると思っています。

そして、また、会社組織にあっては、長の職にあるものは、部下に対し、仕事の定量的な目標を与え、あるいは仕事のやり方のみを教えるのではなく、仕事に対する“内なる声”、あるいは仕事の意味を部下本人が見出すよう「よい問い」を投げかけ、「よい課題」与えることが求められると思います。
(この記事は2009年1月23日に初掲載されたものです。)

【記事提供元】
INSIGHT NOW!(インサイトナウ)