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当たり前の考察(人時生産性に関して)

OECDの調査によると、日本の人時生産性は、加盟34カ国中21位(2012年)と国際的に見て低いというデータがあります。サンプルの取り方の問題や算定根拠云々…と、実態とは異なっていると指摘する人もありますが、文句のひとつも言わずにサービス残業をしているサラリーマンがたくさんいることを鑑みると、実態の「時間当たり」ではもっと下位になるだろうと思われます。

日本人は、時間に対する正確性は極めて高く、勤勉で、高い技術力もあるはずなのに、なぜこのような結果になるのだろうか?といつも不思議に思うのです。そこには、常識(当たり前)をどこに置いているかが大きく関わっているようです。勤勉の裏表に「成果が出ないのであれば、成果が出るまで働け!」という常識(?)が存在しています。件のデータで、金融不動産では先進7カ国中2位に対して、卸小売飲食では最下位という結果を見ると頷けるところです。

特に日本企業の会社のほとんどを占める中小のオーナー企業では、その常識は絶対的なものとなっています。長時間働くことは美徳であり、文句を言わず黙って残業することが「優秀な人材」の条件となっているのです。ですから、それを前提に仕事を組み立てているのです。 自分一人で頑張っている分には大きな問題はないのですが、そのように頑張ってきた人が企業内で上に立っていますから、それを下に強要するのです。(言わないまでの無言の圧力をかけているのです。)皮肉なことに、精神疾患を発症して(予備軍も含め)、更に生産性を下げているのです。

このように合理的な理由がないのに当たり前となっていることがいくつかあります。人事制度の仕事をしていると、不思議な当たり前(常識)を触れることがあります。現在、派遣労働法が注目をされ、正規社員と非正規社員の賃金格差が問題になっていますが、実際に人事賃金に関連する仕事をしていると、そもそもその会社の一人当りの生産性格差による賃金格差や処遇格差のほうが大きな問題だと思います。実際に同じ様な業種の営業職でも、平均的な一人当たり生産性の基準は大きく違います。

私の以前の支援先に、街の小さな自転車屋やバイク屋さんに部品卸しをしている会社あります。その業界では、営業職の一人当たり付加価値生産高は、1000万円/年にも満たしていません。そうなると自ずと、年収はせいぜい3~400万が上限となります。これを当たり前となっていますから、なんとか1,000万を1,100万にする方法は考えて、仕事をして、「一に努力、二に努力…」となることが多いのです。しかし、この会社は違いました。

そもそも、大の大人が、頑張って汗水たらして1,000万に達すれば御の字という事態を、「異常」だと考えたのです。そこで考えたのが、BtoB通販という手法です。それにより画期的に生産性は高まりました。しかも、町の小さな自転車屋やバイク屋に部品を供給するという社会的な役割を果たすこともできるのです。会社と言う単位で見れば、ほとんどの成功している会社は、当たり前の状態を、「異常事態」として認識したことから、スタートしているのです。

同じ会社の中にも、デキる営業とデキない営業がいます。能力・経験・人脈など諸々の違いがありますが、究極を言ってしまえば「当たり前」のゾーンが違うことが起点のような気がします。これを、見えない壁と言うのでしょう。

「うちの業界では仕方ない…」
「中小企業だから大企業のようにはできない…」
こんようなネガティブな言葉が出てきた時点で、壁を作ってしまっているのかも知れません。

最後に、話を戻します。今も世の中で、幸せに生きようと思ったらある程度の収入と時間的余裕が必要です。ですから、人時生産性が重要な要素になってきます。時間当たりの生産性の当たり前を疑ってみること必要なのでないでしょうか?

(追伸)これも私だけの常識かも知れませんが…