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マーケティング的毒性を考える【1】

先日、月刊「VERY」の元編集長の相沢正人氏から、モノが売れない現代のマーケティングについての意見交換をさせていただいた。筆者中野はコンシューマビジネスで迷った時に相沢氏と意見交換させていただくが、彼は実に多くの突破口や切り口(ご本人にとっては当たり前すぎて全くそんなつもりはないご様子だが)を示唆してくれる。

相沢氏は「茶髪」「公園デビュー」「シロガネーゼ」「アシヤレーヌ」「ハマシロ」など30代山の手主婦の暮らしと、生活する街に根ざした数々のヒット企画をネーミングと共に送り出したクリエイターであり優れたマーケッターである。彼は、昨今の消費低迷を、「データとは別の視点から見ると、毒がないからモノが売れないと考えるべきではないか」と言う。

確かに、「ちょいワル」のようにインパクトのある商品には毒があり、「良い子ちゃん」だけでは強い刺激を与えることはできないであろう。コンシューマに「コレでなくっちゃダメだよね」というエモーションを起こす商品特性を考えるとき、「良い子ちゃんっぽい特性」より「不良っぽい毒性」の方が効果的と考えるとわかり易い。

SNS等の普及によってあらゆる事象の露出が拡大し、世間という評価にさらされている環境下では、攻撃されないために無難になるという傾向が強まるものだが、相沢氏はそれによってあらゆるモノから毒性がなくなっていくことを憂いているのだ。

かつて、相沢氏と一緒にファッションに関するwebブログ分析をした時に、「ユニクロ『で』いい」という消極的選択キーワードが多く抽出された。その時に相沢氏は「ユニクロ『が』いい」という能動的選択が見えないが、消極的選択で普及、拡大していること、つまり無難が大きな市場を形成していることを指摘していた。

当時は、成熟市場の中で消極的選択領域で勝つためには、大量に供給できるだけの大きな資本力が必要になるため、規模の経済が追求できない事業者は能動的選択要素を作り出さなければならないと説明していたが、この能動的選択要素にはある程度の「毒性」が必要だというのである。相沢氏は、消費者が目の前にあるモノを見た時に購買意思決定を促進するエモーションを与える香辛料のような刺激を「毒」と表現しているものと解釈した。

例えば、香辛料だけでは辛いだけ、つまり毒のようなものだが、料理をよりおいしくする上では欠かせないピースである。単体の個性、特性だけでは毒になるレベルのナニかを追求し、能動的選択を得る工夫としての「毒」の力を利用していくことが、消費改善の鍵の一つではないだろうか。