「最近の若い連中は、プリウス買おうとか普通に言ってるらしいけど、信じられないね」
「オレは、どうしてもフェアレディZが欲しいんだよ」
「今度ハチロクも出るらしいけど、そっちはどうなの?」
「ハチロクも良いけど、やっぱZでしょ。嫁さん乗っけてドライブ行きたいね」
「で、今は何に乗ってるの」
「今は軽自動車」
「何、それ、だったらプリウスと同じじゃない」
「嫁さんにZ買おうって、5年くらい言い続けてるんだけど、なかなかうんって言わないんだよ」
これは、とある懇親会に集まった年齢50前後のオジさん達の会話。
傍らで聞いていた33歳のとある企業の後継者が耳打ちしてきた。
「いつも思うんだけど、オジさん達と話してると“モノ”に対する欲の深さに驚かされますね。
だからこそ仕事も頑張れるんじゃないかな。
逆に若い人は本当に“モノ”に対する欲が無い、どうすれば彼らのモチベーションを上げられるのか、悩みますよね」
確かに、世代間の価値観は違う。
だから、悩むのは大いに結構なことだ。しかし、適切に悩まなければ永久に答には辿り着かない。
そもそも価値観は個々人で違うものだ。
よくよく考えれば、50代のオジさんでもクルマに興味のない人もいるし、クルマが大好きな若い人もいるはずだ。
面白いのは、例え価値観が違っても、同じ世代であれば共通の話題は豊富にあるため、
「一体何を考えているのかさっぱりわからない」と言うほどのギャップは無いというところだ。
つまり、同年代の人間関係は、ある程度のコミュニケーションをとりながら、
「異なる価値観を認め合える」段階に到達しやすいということが言えるだろう。
そう考えると、問題は「価値観が違う」ということではなく、「異なる価値観を認め合えない」ということになるのではないだろうか。
「価値観が違う」から部下育成が難しいのではなく、「異なる価値観を認め合えない」つまり、コミュニケーションが希薄だから部下育成が難しいということだ。
「燃費も悪くて人数も乗れないフェアレディZがなぜ欲しいんだろう」
「プリウスなんてカッコ悪いクルマを欲しがる若者の気持ちがわからない」
確かにその“価値観”には大きな隔たりがあるが、そんなことは当たり前だ。
だからこそ興味関心を持ってコミュニケーションを積み重ねることが大切なのである。
「“ゆとり世代”って難しい世代だから大変なんですよ」
という声をよく聞くようになってきた。
気持ちは十分に理解できるが、“難しい世代”などと決めつけた瞬間から思考停止に陥ってしまうので、気をつけてもらいたい。
少し前から新卒として社会に進出してきたのが“ゆとり世代”だ。
いわゆる“ゆとり教育”を受けた若者たちであり、“失われた20年”などと言われている環境で育ってきたわけだ。
“ゆとり教育”は、我々大人たちが勝手に決めて実施してきたことだし、“失われた20年”もその責任は我々大人たちにある。やや乱暴に言えば、「“モノ”に欲がなく、カッコ悪いプリウスを買ってしまう」価値観を作ってきたのは我々なのかも知れない。
だからこそ、「価値観が違う」からコミュニケーションをとりづらい、という思い込みによる悪いスパイラルに陥らないようにしなければならない。
「価値観が違うのは当たり前だから、それを認め合えるように歩み寄ろう」
そう考えてコミュニケーションを図るべきは、大人たちの方だ。
なぜならば、若者たちの育ってきた時代背景を大人として見てきたわけで、コミュニケーションの切り口を圧倒的に数多く持っているからだ。
先日、ある大学教授がこんな話をしていた。
「“ゆとり世代”は、教育で縛られていないから発想が豊かで面白いよ」
認め合う環境を作ることで、お互いの強みも見えてくるに違いない。