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他者に伝えるときに、言葉だけに頼っていませんか?

「すみません。ミセスってどんな人ですか?」

この言葉はある経営者から言葉です。会議の中で、私が「ミセスをターゲットにしていきましょう!」と提言した後、一呼吸置いて会議に参加していた経営者が質問しました。私はいつもどおり、即答をしようと思いましたが、経営者の質問の本意を捉えたとき、言葉が出てきませんでした。その会議に出席していたメンバーは20代前半から40代前半まででした。その経営者は30代後半であり、私と同年代のため、私がイメージする「ミセス」と、ズレはさほど無いと思います。

しかし、20代前半の方がイメージする「ミセス」と比べるとどうでしょうか?私とイメージするミセスとは僅かながらでも乖離しているはずです。「僅かながらならば、良いのでは?」と考える読者もいるかもしれません。しかしマーケティングの世界、しかも顧客ターゲティングの中で、その僅かな乖離が組織行動の不一致を招くのです。

言葉は便利なツールです。しかも一般用語になった言葉の利便性は自明の理です。しかし言葉の意味は、時代とともに変遷していきます。ここでの「ミセス」という言葉も同じです。「ミセス」という言葉自体は市民権を得て、殆どの人がなんとなくのイメージができます。ですが、「なんとなく・・・」なのです。では20年前のミセスと、現代のミセスではどうでしょうか?仮に50代女性の比較を20年前と現代とで比較すると、ライフスタイルは勿論のこと、ファッションも異なります。

また現代では、20年前とは比較にならないくらい、多種多様の50代女性像が存在します。つまり、「ミセス」という言葉は、時代によるステレオタイプの変化だけでなく、多様化も考慮しなければいけません。すると、どうでしょう?「ミセス」という便利だったはずの言葉が一気に使いにくくなってきます。イメージの若干のズレがあっても、気心を知れた人との対話であれば、各々のイメージのすりあわせていくことができます。しかし多数を相手に情報を伝えていく際には、対話という力技は使うことができません。そこで活躍するのが「ビジュアル」です。

先日、某巨大掲示板で某大手自動車メーカーの販売マニュアルの1ページが流出しました、(それが実物かどうかの真相は分かりませんが・・・)私はそのページを見て感心しました。そのページは、あるミニバンの顧客ターゲットを説明していました。顧客ターゲットの中に、「マイルドヤンキー」や「ヤンジー」が含まれていました。

※「マイルドヤンキー」 は、博報堂のマーケットアナリスト原田曜平氏が2014年に定義した概念。「ヤンジー」は雑誌「LEON」の創刊編集者である岸田一郎氏が新雑誌「MADURO」を立ち上げた際に定義した概念。

この二つの言葉はマーケッターかワイドショーをザッピングする人じゃなければ、聞いたことがある程度で詳細まではイメージすることは難しい言葉です。ですが、そのマニュアルでは、各々にステレオタイプなイラストに加えて、特徴を箇条書きしてありました。それが非常に分かりやすい。某大手自動車メーカーであれば、ディラーも含めて、販売関係者の数は想像を絶します。ですが、このマニュアルであれば、関係者のイメージは一致するはずです。

冒頭でも述べたとおり、イメージの僅かな乖離が組織行動の不一致を招きます。逆に考えるとイメージの完全一致とは組織行動の完全一体化に繋がるということです。この場合は販売という行動に対しての一体化になります。営利活動においては方針(狭義でのマーケティング戦略)が如何に素晴らしくとも、行動が一致しない限り、その方針の最大のリターンは期待できません。最大のリターンを期待するには組織行動の一体化しかないのです。

少し強引な言い回しであれば、方針が多少間違えていたとしても、組織行動が一致していれば、勝利が期待できます。組織行動を一致させるには、分かり易い表現しかありません。言語は確かに時間効率の面から考えても、便利なツールです。しかし、情報伝達において、「ここが肝だ!」という箇所には、言語の便利さだけに頼らず、「ビジュアル」を用いて遠回りする事も必要となります。「みんな分かってくれない・・」と嘆くより、少しだけ遠回りしていくことが、勝利の条件かもしれません。